このブログの投稿人は、
西東京市で、「根本義塾」という屋号で、
主に数学を中高生に教えるオンライン塾を運営しています。
エレクトロニクスとの出会いは、
小学4年で、隣のお兄さんに、ゲルマラジオを見せてもらったときです。
電池がなくてもラジオが聞こえる!びっくりしました。
その感動のあまり、エレクトロニクスが趣味になりました。
その後、半田ごてを持って、ラジオや受信機を作っていました。
アマチュア無線もやっていました。
とにかくエレクトロニクスが大好き
高校時代に、米国のTANDY RADIO SHACKの出店が家の近くにできました。
その出店に画面とキーボードが一体化したパソコンが売られていました。今のPCの性能に比べ相当低いものでしたが、
確か30万円以上で売られていました。とても手がでないし、パソコンなるもので何ができるか分からないので
そのときは興味が沸かなかったです。
大学に入ると、NECがPC8800,9800,富士通がFM'7, SHARPがMZ2000 を 製販し始めました。
9800は16ビットマシーン。それ以外は8ビットマシーンでした。まだOSにWINDOWSは使われていませんでした。初期の8ビットまたは16ビットマシーンは、OSでさえも、カセットテープまたはフロッピーディスクで読み込んでから立ち上げるものも多くありました。筐体もバカでかくて場所を取ってしょうがありませんでした。
インターネットもまだ普及していませんでした。
2000年前後から、WINDOWSが登場。特にWINDOWS98が出てから、素人でもインターネットにようやく簡単に接続できるようになりました。
その後、マイクロソフトはWINDOWS2000、XP、7、8,10と立て続けに出し、OSのシェアを取っていきました。
一方、アップル社も、MAC OSでがんばっていました。
インターネットに簡単に接続できるようになってから、米国のGOOGLE社が、ネット検索界のシェアをほぼ寡占しました。特にYAHOOがGOOGLE社の検索を利用するようになってから さらに拍車がかかりました。
ラップトップ型PC,ノート型PCが段々普及し、驚くべき性能で驚くべき安さで 出現しました。中国が技術力をつけはじめてからだと思います。
そして、携帯電話も、コンピュータ並みの性能となり、スマートフォンが普及しました。
日本はPCのハードウェアについては力を持っていましたけれども、ソフトウエアは特にOSがアメリカに独占され、どんどん遅れてしまいました。
アメリカを追うように、韓国、中国、台湾、インドがソフトウェア大国になり、日本はIT後進国になってしまいました。
ハードウェアは、どんどんファイン化(微細化)し、かつ、集積化し、部品がもはや視覚化できなくなりました。こうなると、もはやハードウェアはブラックボックス化し、それをソフトウェアでいかにうまく動作させるかが、ポイントとなりました。
すなわち、日本はIT後進国になり この波に乗り遅れました。白旗状態です。
中には携帯電話のOSとしてTRONは、日本の技術として活躍していますが。
挽回は難しい。
しかし、千里の道も一歩から。
がんばりましょう!
西東京市ロボット・プログラミング村
管理人 根本通裕